【「コーダ」のぼくが見る世界】あらすじ要約・ネタバレ・考察・読書感想文・レビュー(著:五十嵐大)
「聴こえない人になりたい」と願ったことがある――そんな言葉を目にしたとき、あなたはどう感じるでしょうか。聴こえる子どもが、聴こえない親のようになりたいと思う気持ち。その複雑な感情の裏側には、家族への愛と、社会の無理解と、アイデンティティの揺らぎが詰まっています。
五十嵐大さんの『「コーダ」のぼくが見る世界』は、聴こえない両親のもとで育った著者の体験を綴ったエッセイです。2024年8月に刊行され、読書感想文コンクールの課題図書にも選ばれました。映画化もされ、多くの人にコーダという存在を知ってもらうきっかけとなった一冊です。
どんな本?なぜこんなに注目されているのか
この本は、コーダ(Children of Deaf Adults)として生きてきた著者の日常と心の動きを、率直な言葉で記録したものです。手話を母語として育ち、日々通訳を担い、社会からの偏見にさらされながら生きてきた経験が、淡々と、けれど力強く語られています。
なぜ今、この本が注目されているのでしょうか。それは単にコーダという存在を知るためだけではありません。この本が問いかけているのは、「普通」という基準が誰かを傷つけていないか、善意が誰かを追い詰めていないか、という私たち自身の在り方だからです。読んだ人の多くが「目から鱗が落ちた」「価値観が変わった」と感想を寄せています。
2024年の映画公開も相まって、コーダという言葉が広く知られるようになりました。けれど大切なのは、知ることではなく理解することです。この本は、その第一歩を踏み出すための羅針盤のような存在かもしれません。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | 「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて |
| 著者 | 五十嵐大 |
| 出版社 | 紀伊國屋書店 |
| 発売日 | 2024年8月2日 |
| ジャンル | ノンフィクション・エッセイ |
| 備考 | 第71回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(高等学校の部) |
著者・五十嵐大さんはどんな人?
五十嵐大さんは1983年、宮城県で生まれました。両親ともに聴覚障害者という家庭で育ち、手話を第一言語として成長してきた方です。
1. 宮城県生まれのコーダとして育った経歴
幼い頃から、家の中と外では違う言語を使い分けてきました。家では手話、外では日本語。この二つの世界を行き来することが、五十嵐さんにとっての日常だったのです。
学校の先生や病院、役所での手続きなど、子どもの頃から親の通訳を担ってきました。それは時に重い責任でもありました。誤訳をすれば親が困ることになる。そんなプレッシャーを、子どもながらに背負っていたといいます。
周囲からは「偉いね」「大変だね」と言われ続けました。けれど本人にとっては、それが当たり前の生活でした。そんな善意の言葉が、いかに複雑な感情を引き起こすかを、この本では丁寧に語っています。
2. エッセイストから小説家へ
2015年からフリーライターとして活動を始めた五十嵐さんは、2020年に『しくじり家族』でエッセイストとしてデビューしました。その後、2022年には『エフィラは泳ぎ出せない』で小説家としても活動の幅を広げています。
書くことを通じて、自分の経験を言葉にする作業は簡単ではなかったはずです。それでも発信し続けているのは、かつての自分のように戸惑っている若いコーダを救いたいという思いがあるからでしょう。
著者自身も「怒りや傷つきをそのまま表明しても伝わらない」と語っています。だからこそ、読者に考えてもらえるような書き方を意識しているのです。
3. これまでに発表した作品
五十嵐さんはこれまでに複数の作品を発表してきました。『聴こえない母に訊きにいく』では、母親との対話を通じてろう者の世界を描いています。『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』というタイトルからも、著者の問題意識の深さが伝わってきます。
小説『エフィラは泳ぎ出せない』では、フィクションという形でマイノリティの問題を描きました。エッセイとは違った角度から、社会の在り方を問いかけています。
どの作品も、コーダという立場から見た世界を、誠実に言葉にしようとする姿勢が貫かれています。それが多くの読者の心を動かしているのでしょう。
こんな人におすすめしたい本です
この本を手に取ってほしい人は、特定の立場や境遇の人だけではありません。むしろ、普段マイノリティについて考える機会が少ない人にこそ読んでほしいのです。
1. 家族との関係に悩んでいる人
家族を愛しているのに、時々息苦しくなる。そんな矛盾した感情を抱えている人は少なくないはずです。著者も親を愛しながら、同時に複雑な思いを抱えてきました。
親の通訳を担うということは、時に親の人生を背負うことでもあります。けれどそれは、決して美談だけではありません。家族だからこその葛藤が、この本には詰まっています。
家族関係の複雑さは、コーダに限った話ではないでしょう。自分の気持ちと向き合うきっかけを、この本は与えてくれます。
2. 多様性について考えたい人
多様性という言葉は、今やあちこちで聞かれるようになりました。けれど、本当の意味で理解している人はどれだけいるでしょうか。この本は、頭で理解するのではなく、心で感じるための一冊です。
ろう者は「かわいそうな人」ではありません。聴こえなくても、なんでもできる人たちです。けれど社会が障害を作り出しているという現実があります。その構造に気づくことが、多様性を理解する第一歩なのです。
「知らない世界」を知ることは、自分の視野を広げることでもあります。この本は、そのための扉を開いてくれるでしょう。
3. 自分のアイデンティティに揺れている人
「自分は何者なのか」という問いは、誰もが一度は抱くものです。著者にとって、それは特に切実な問題でした。ろう者でもなく、純粋な聴者でもない。その狭間で揺れ動く感覚が、生々しく綴られています。
コーダというラベルを知ったとき、著者は安堵と同時に複雑な思いを抱いたといいます。自分だけではない、という安心感。でも同時に、ラベルで括られることへの違和感もあるのです。
アイデンティティの揺らぎは、コーダに限ったことではありません。自分の立ち位置が見えないとき、この本は寄り添ってくれるはずです。
4. 読書感想文の課題図書を探している人
高等学校の課題図書として選ばれているだけあって、深く考えるきっかけが詰まった本です。ただし、簡単に答えが出る内容ではありません。だからこそ、自分の言葉で考えを深めていく価値があります。
書きやすいテーマというわけではないかもしれません。けれど、向き合うことで得られるものは大きいでしょう。自分の「当たり前」を見つめ直すチャンスになるはずです。
課題だから読むのではなく、自分のために読んでほしい。そう思える一冊です。
コーダという存在について知っておきたいこと
コーダという言葉を初めて聞く人も多いかもしれません。まずは、その意味と背景を理解することから始めましょう。
1. コーダの意味
CODAは「Children of Deaf Adults」の頭文字をとった言葉です。日本語にすると「聴こえない親を持つ、聴こえる子ども」という意味になります。
両親のどちらか、または両方が聴覚障害者で、子ども自身は聴こえるという家庭に育った人たちのことを指します。日本にも、多くのコーダがいます。けれど、その存在はあまり知られていませんでした。
この本が、コーダという言葉を広く知ってもらうきっかけになったことは間違いありません。けれど大切なのは、言葉を知ることではなく、その背景にある人生を想像することです。
2. ろう者でも聴者でもない複雑な立場
コーダは、二つの世界の間に立っています。家の中では手話の世界、外では音声言語の世界。どちらにも属しながら、どちらにも完全には属せない感覚があるといいます。
ろう者のコミュニティでは「聴こえる人」として見られます。一方、聴者の社会では「聴こえない親を持つ人」として特別視されます。どこにいても、何かしらのラベルを貼られてしまうのです。
著者が「聴こえない人になりたい」と願ったのは、親と同じ世界に完全に属したかったからかもしれません。その気持ちの切実さが、胸に迫ります。
3. ヤングケアラーとしての側面
コーダは、ヤングケアラーとしての側面も持っています。幼い頃から親の通訳を担い、社会との橋渡しをする役割を背負ってきました。
電話の応対、病院での説明、役所の手続き。大人でも難しいことを、子どもが担ってきたのです。その責任の重さは、想像を超えるものがあります。
けれど周囲は、それを美談として消費しがちです。「偉いね」「頑張っているね」という言葉が、どれだけ子どもを追い詰めるか。この本は、そのことを静かに訴えています。
あらすじ(内容を詳しく紹介します)
ここからは、本の内容を具体的に見ていきます。著者の体験を通じて、コーダの世界を覗いてみましょう。
1. 聴こえない親との日常
遠くにいる親を呼ぶとき、どうしますか。普通なら声をかけるでしょう。けれど著者の家では、丸めたティッシュを投げたり、机を叩いて振動で知らせたりしていました。
多くの家庭では怒られそうな行為が、生活の知恵として根付いている。その事実に、読者は新鮮な驚きを覚えます。当たり前は、家庭によって全く違うのです。
親との会話は手話で行われます。それは視覚言語であり、音声言語とは全く異なる構造を持っています。手話を母語とする感覚は、聴者には想像しにくいかもしれません。
2. 手話という母語で生きること
手話は福祉ツールなのか、それとも言語なのか。この問いが、著者の心に深く刺さった読者は多いようです。
手話は、ろう者にとっての母語です。日本語とは別の、独立した言語なのです。けれど社会は、手話をコミュニケーションの補助手段としてしか見ていないことが多いのです。
著者にとって、手話は親との絆そのものでした。それを単なるツールとして扱われることへの違和感が、この本には溢れています。
3. 通訳として生きる子ども時代
幼い頃から、著者は親の通訳を担ってきました。それは時に、子どもには重すぎる責任でした。
病院で医師の説明を通訳するとき、正確に伝えられるだろうか。役所で手続きをするとき、間違えたらどうしよう。そんな不安を抱えながら、必死に役割を果たしてきたのです。
けれど周囲は「偉いね」と褒めるだけでした。その言葉の裏にある、子どもの葛藤には気づかないまま。善意の言葉が、いかに重いかが伝わってきます。
4. 社会の中で感じた違和感
親に向けられる好奇の目や偏見を、著者は幾度となく目にしてきました。それによって、親を「普通ではない」と認識させられてきたのです。
「お父さん、耳が聴こえないんだ」と友達に言われたとき、何と答えればいいのか。親を守りたい気持ちと、説明する言葉の難しさに、戸惑ってきました。
社会が障害を作り出している。その構造に気づいたとき、著者の視点は大きく変わったのかもしれません。この本は、その気づきを読者にも届けようとしています。
ぼくが読んで感じたこと
この本を読んで、多くの人が価値観を揺さぶられたと語っています。ここでは、特に心に残ったポイントを挙げてみます。
1. 「普通」という基準の暴力性
「普通」って何でしょうか。誰が決めた基準なのでしょうか。この本を読むと、その言葉の持つ暴力性に気づかされます。
親が聴こえないことを「普通ではない」と見なす社会。その視線によって、子どもは親に対して複雑な感情を抱かされてきました。本来なら何の問題もないことが、社会の基準によって「問題」にされてしまうのです。
普通という言葉を使うとき、私たちは誰かを排除していないか。そのことを考えるきっかけになります。
2. 善意が誰かを傷つけることもある
「頑張っているね」「大変だね」という言葉。それは善意から出たものでしょう。けれど、その言葉が当事者をどれだけ傷つけているか。
善意の裏には、往々にして「かわいそう」という感情が隠れています。それは相手を下に見る視点であり、無意識の差別でもあるのです。
言った本人は、その残酷さに気づいていません。だからこそ厄介なのです。善意という名の刃が、人の心を深く傷つけることを、この本は教えてくれます。
3. アイデンティティの揺らぎに共感した
「自分は何者なのか」という問いは、多くの人が抱えるものです。著者の葛藤は、コーダ特有のものかもしれません。けれど、その根底にある感情は普遍的なものです。
どこにも完全には属せない感覚。それは孤独で、不安なものです。けれど同時に、複数の視点を持てるということでもあります。
コーダというラベルを得たときの、安堵と違和感。その両方を抱える複雑さに、多くの読者が共感したのではないでしょうか。
4. 家族を愛しているからこその複雑さ
親を愛している。それは間違いありません。けれど同時に、親の存在によって生まれる葛藤もあります。
その矛盾を抱えることの苦しさが、この本には率直に書かれています。愛しているからこそ守りたい。でも、その役割が重すぎることもある。
家族関係の複雑さは、どの家庭にもあるものです。形は違えど、その本質は共通しています。だからこそ、多くの人の心に響くのでしょう。
5. 「感動ポルノ」という言葉の重さ
障害者が何かを成し遂げたとき、メディアは美談として取り上げがちです。けれど当事者は、それを「感動ポルノ」として消費されることに違和感を抱いています。
健常者が感動するために、障害者の物語が利用されている。その構造を、この本は鋭く指摘しています。
感動する前に、考えるべきことがあるのではないか。その問いかけが、胸に刺さります。
読書感想文を書くときのヒント
課題図書として読んだ人も多いでしょう。ここでは、感想文を書くときのヒントを紹介します。
1. 自分の「当たり前」を見つめ直すきっかけに
あなたの「当たり前」は何ですか。それは本当に当たり前なのでしょうか。
この本を読むと、自分の日常がいかに特定の前提の上に成り立っているかに気づきます。その気づきを、自分の言葉で表現してみましょう。
遠くの人を呼ぶとき、あなたはどうしますか。その単純な行為一つとっても、家庭によって全く違うのです。そこから考えを広げていくことができます。
2. 多様性について具体的に考える
多様性という言葉は抽象的です。この本を通じて、具体的に何を考えたかを書いてみましょう。
ろう者への理解とは何か。手話は言語なのか、ツールなのか。そういった具体的な問いから、自分の考えを深めていけます。
知らなかったことを知った驚き。それだけでも、立派な感想文の種になります。
3. 家族との関係を振り返ってみる
著者と親との関係性から、自分の家族を思い浮かべた人もいるでしょう。それを書くのも一つの方法です。
家族を愛しているけれど、時々息苦しい。そんな矛盾した感情は、誰にでもあるものです。著者の経験と自分の経験を重ねながら、考えを深めていけます。
形は違えど、家族の複雑さは共通しています。そこに焦点を当ててみるのも良いでしょう。
4. 社会の中の「見えない壁」について
この本が指摘する社会の問題は、ろう者やコーダだけのものではありません。様々なマイノリティが直面している構造的な問題です。
善意による差別、感動ポルノ、普通という基準。これらは社会全体の問題です。自分の周りにも同じような構造がないか、考えてみましょう。
気づきから行動へ。そんな展望を書くこともできます。
この本が教えてくれること
読み終えたとき、多くの人が「世界の見え方が変わった」と感じるようです。この本が伝えているメッセージを整理してみます。
1. 知ることと理解することは違う
コーダという言葉を知ることはできます。けれど、その人生を理解することは別の話です。
著者は、知識としてではなく、感情として伝えようとしています。頭で理解するのではなく、心で感じることの大切さを教えてくれます。
知っているつもりになることの危うさ。それも、この本が問いかけていることの一つです。
2. ラベルに安心するだけでは足りない
コーダというラベルを得たことで、著者は安堵しました。自分だけではない、という安心感があったからです。
けれど同時に、ラベルで括られることへの違和感もあります。一人一人の経験は異なるのに、同じカテゴリーにまとめられてしまう。
ラベルは理解の入り口ではあっても、ゴールではないのです。その先にある個人を見ることの大切さを、この本は教えてくれます。
3. テクノロジーが変えるコミュニケーション
手話通訳アプリや字幕技術など、テクノロジーの進化がコミュニケーションの形を変えつつあります。それは、ろう者にとっても、コーダにとっても、大きな変化をもたらすでしょう。
子どもが通訳を担う必要が減るかもしれません。それは一つの進歩です。けれど同時に、手話という言語の価値が忘れられないようにすることも大切です。
技術は手段であって、目的ではありません。人と人とのつながりをどう作っていくか。それが本質的な問いです。
4. 「もしも」を想像することの大切さ
もしも自分が聴こえなかったら。もしも親が聴こえなかったら。そんな「もしも」を想像することから、理解は始まります。
他者の立場に立って考えることの難しさを、この本は示しています。けれど同時に、その努力の大切さも伝えています。
完璧に理解することはできなくても、想像しようとする姿勢は持てるはずです。それが、共生社会への第一歩なのでしょう。
なぜ今、この本を読むべきなのか
多様性という言葉が溢れる時代です。けれど、本当の意味で多様性を理解している人は、どれだけいるのでしょうか。この本は、その問いに向き合うための一冊です。
1. 多様性という言葉の意味を問い直すために
多様性を尊重しよう。そんなスローガンをよく耳にします。けれど、それは具体的に何を意味するのでしょうか。
この本は、多様性という抽象的な言葉を、具体的な人生として描いています。教科書的な理解ではなく、生きた経験として。
言葉の意味を問い直すこと。それが、本当の理解への入り口になります。
2. 誰もが生きやすい社会を考えるために
バリアフリーという言葉も、よく聞かれるようになりました。けれど、物理的なバリアだけが問題ではないのです。
心のバリア、制度のバリア、言葉のバリア。様々な壁が、マイノリティの生きづらさを作り出しています。それに気づくことが、社会を変える第一歩です。
誰かにとっての生きやすさは、巡り巡って自分の生きやすさにもつながります。そのことを、この本は教えてくれます。
3. 自分の中にある偏見に気づくために
差別はしていない。そう思っている人は多いでしょう。けれど、無意識の偏見は誰の心にもあるものです。
「かわいそう」という感情、「偉いね」という言葉。それらが持つ暴力性に、この本は気づかせてくれます。
自分の中にある偏見を認めることは、苦しいかもしれません。けれどそこから、本当の変化が始まるのです。
まとめ
この本を閉じたとき、世界が少し違って見えるはずです。それは、新しい知識を得たからではありません。自分の「当たり前」が揺さぶられたからです。
コーダという存在を知ることは、ゴールではなくスタートです。そこから、どう考え、どう行動するか。それが問われています。著者が勇気を持って言葉にした経験を、私たちはどう受け止めるのか。その答えは、一人一人の中にあります。
