【わたしは食べるのが下手】あらすじ要約・ネタバレ・考察・読書感想文・レビュー(著:天川栄人)
「食べること」がこんなにも苦しいなんて、想像したことがあるでしょうか。
給食の時間が怖い、人と一緒に食事ができない、食べては吐いてしまう。そんな悩みを抱えている人は、実は私たちの周りにもいるかもしれません。天川栄人さんの『わたしは食べるのが下手』は、会食恐怖症と過食嘔吐に悩む二人の中学生が、食と向き合う物語です。2025年の青少年読書感想文全国コンクール中学校の部課題図書に選ばれたこの作品は、ただの成長物語ではありません。食べることの意味、生きることの意味を、静かに、そして深く問いかけてきます。
「わたしは食べるのが下手」はどんな本?
会食恐怖症と過食嘔吐という、一見すると真逆の食の悩みを抱える二人の少女が出会い、互いに支え合いながら自分たちなりの答えを見つけていく物語です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 著者 | 天川栄人 |
| 出版社 | 小峰書店 |
| 発売日 | 2024年6月 |
| ページ数 | 254ページ |
この本は2025年の青少年読書感想文全国コンクール中学校の部課題図書に選ばれています。中学生向けのYA(ヤングアダルト)小説として書かれていますが、大人が読んでも心に響く内容です。
2025年読書感想文コンクール課題図書に選ばれた理由
食をめぐる問題は、現代社会において深刻さを増しています。会食恐怖症や摂食障害に悩む若者は増え続けていて、その多くが給食の完食指導がきっかけだったという調査結果もあります。
この本が課題図書に選ばれたのは、そうした「見えにくい苦しみ」に光を当てているからでしょう。誰もが当たり前にできると思われている「食べる」という行為が、ある人にとっては恐怖であり、戦いである。そんな現実を知ることは、他者への理解を深める第一歩になります。
しかもこの物語は、問題提起だけで終わりません。主人公たちが能動的に解決策を探し、自分たちの力で状況を変えようとする姿が描かれています。
この本が描くテーマ
表面的には「食の悩み」を扱った物語に見えますが、実は「生きることの不完全さ」がテーマです。咲子の「生きるのが上手な人はいない」という言葉が、物語全体を貫いています。
食べることは生きることと直結しています。だから食べられないことは、生きづらさそのものなのです。この本は、完璧である必要はない、自分なりの食べ方や生き方を見つければいいのだと、優しく語りかけてくれます。
著者・天川栄人さんはどんな人?
天川栄人さんは、繊細で深いテーマを扱うYA作家として知られています。物理学から人間学へと学問を変えた経歴も興味深い方です。
京都大学出身のYA作家
天川栄人さんは岡山操山高校から京都大学理学部物理学科に進学しました。しかし途中で京都大学総合人間学部に転学し、その後京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程を修了しています。
理系から文系へ、物理から人間へ。この転換が、天川さんの作品に独特の視点をもたらしているのかもしれません。科学的な思考と人間への深い洞察が融合した、論理的でありながら温かみのある文章が特徴です。
これまでに書いた作品
デビュー作は『ノベルダムと本の虫』で、第13回角川ビーンズ小説大賞の審査員特別賞を受賞しました。その後も数々の賞を受けています。
『悪魔のパズル』では第9回集英社みらい文庫大賞の大賞を受賞。『おにのまつり』では第9回児童ペン賞「少年小説賞」を受賞しています。岡山を舞台にした作品も多く、地域に根差した物語作りをされています。
天川栄人さんの作品の特徴
天川さんの作品には、周囲と違うことで悩む子どもたちがよく登場します。マイノリティの視点、居場所のなさ、アイデンティティの葛藤。そうしたテーマを、押しつけがましくなく、自然に物語の中に織り込んでいきます。
しかも単なる問題提起では終わりません。主人公たちが自分で考え、行動し、答えを見つけていく過程を丁寧に描きます。読者に「こうすべき」と説教するのではなく、一緒に考える余地を残してくれるのです。
こんな人に読んでほしい
この本は、食に悩みを持つ人だけでなく、生きづらさを感じているすべての人に届けたい作品です。
給食や食事の時間が苦手な人
給食の時間が憂鬱、人と一緒に食事をするのが緊張する。そんな経験がある人には、特に響くはずです。
主人公の葵は、給食で油淋鶏を無理に飲み込んで吐いてしまいます。食べられないのに食べなければならないプレッシャー。周りの視線が怖くて、喉を通らない感覚。その苦しさが、あまりにもリアルに描かれています。
自分だけがおかしいのではないと気づけるだけで、少し楽になれるかもしれません。この本には「会食恐怖症」という名前があることも教えてくれます。名前がつくということは、あなただけの問題ではないということです。
食べることに悩みを抱えている人
過食してしまう、食べた後に罪悪感に襲われる、食べ物のことばかり考えてしまう。そんな悩みを持つ人にも、この本は寄り添ってくれます。
咲子は過食嘔吐を繰り返しています。食べては吐き、また食べる。その苦しさを誰にも言えず、一人で抱え込んでいる姿が切ないです。でも物語を通して、咲子は少しずつ自分を許せるようになっていきます。
完璧である必要はない、自分なりのペースでいい。そんなメッセージが、静かに心に染み込んできます。
人と違うことで悩んでいる人
食の問題に限らず、「みんなと同じようにできない」ことで悩んでいる人にも読んでほしいです。
この物語には、ムスリムの教えで食べられないものがあるラマワティも登場します。宗教、文化、体質、家庭の事情。人それぞれに「食べられない理由」があります。そして食以外でも、人にはそれぞれ事情があるのです。
「普通」なんて、本当は存在しないのかもしれません。みんなどこかが不完全で、みんなどこかで戦っている。そう気づくことで、自分への見方も他者への見方も変わってきます。
こんな本が好きな人にもおすすめ
繊細な心理描写が好きな人、日常の中に潜む問題に目を向けたい人に向いています。派手な展開はありませんが、静かに心を揺さぶる力があります。
YA小説が好きな人なら、きっと気に入るはずです。中学生の視点で書かれていますが、大人が読んでも新しい発見があります。自分の学生時代を思い出したり、今の子どもたちが抱える問題を知ったり。読む年齢によって、受け取り方が変わる本です。
あらすじ(ネタバレあり)
ここからは物語の内容を詳しく紹介していきます。ネタバレを含みますので、まだ読んでいない方はご注意ください。
葵と会食恐怖症
主人公の小林葵は、中学1年生の少食で食べるのが遅い女の子です。特に給食の時間が苦手で、クラスメイトの視線を感じると余計に食べられなくなってしまいます。
ある日、給食で出た油淋鶏を無理に飲み込んだ葵は、吐き戻してしまい保健室へ運ばれます。そこで出会ったのが、クラスの問題児と言われる咲子でした。咲子に「会食恐怖症だね」と言われ、葵は初めて自分の症状に名前があることを知ります。
家でも葵は苦しんでいます。料理教室を営む母親が作る完璧な手作り料理を、毎日完食することを期待されているのです。食べることが愛情表現だと思っている母親に、食べられないとは言えません。
咲子と過食嘔吐
一方の咲子は、一見すると明るく強気な性格です。でも実は、過食嘔吐という摂食障害に悩んでいました。
大量の食べ物を食べては吐く、また食べる。その繰り返しが止められません。咲子にとって食べることは、ストレスの発散でもあり、自分への罰でもあります。誰にも言えない秘密を抱えて、一人で苦しんでいました。
葵と咲子、一見すると真逆の悩みを持つ二人ですが、「食べることが苦痛」という点では共通していたのです。
給食ボイコット作戦
咲子の勢いに押されて、二人は給食ボイコットを企てます。でも結局は不発に終わってしまいます。ただ反抗するだけでは何も変わらない。二人はそう気づきます。
この失敗が、実は大きな転機になります。問題を指摘するだけでなく、解決策を考える必要がある。その意識が芽生え始めたのです。
イケメン栄養教諭・橘川先生の登場
そこに現れたのが、新任のイケメン栄養教諭・橘川先生です。橘川先生は、二人の不満を聞いた後、こう言います。「変えたいと思うなら、変えればいいんですよ」。
ただし条件があります。栄養やカロリーや原価を考慮しつつ、自分たちが食べられる給食を自分たちで提案すること。そして自分たちの力で給食を変えること。
橘川先生の進言に、二人は驚きます。でも確かに、自分たちは不満ばかりで建設的な意見を出していなかったと気づきます。
給食改革プロジェクトが始まる
こうして給食改革プロジェクトが始まります。葵と咲子、そして給食が大好きな浩平、ムスリムの教えで食べられないものがあるラマワティが参加します。
このプロジェクトを通じて、二人は「食べさせてもらうばかり」だった立場から、自分たちで食事を作る経験をします。料理を作る過程で、食べる人と作る人、それぞれの立場や思いを知ることになります。
ラマワティとの関わりから、宗教や文化による食の違いも学びます。浩平の「給食が大好き」という素直な気持ちにも触れます。食をめぐる価値観は、本当に人それぞれなのだと実感していきます。
料理を作る経験から学んだこと
作る側の視点を得たことで、二人は大きく変わります。「食べてもらいたい」という思いには、「生きて欲しい」「元気になって欲しい」という願いが込められていることを理解します。
自分が作ったものを誰かに食べてもらう喜びも知ります。「誰かの役に立っている」「必要とされている」という実感を得ていきます。それは、自己肯定感にもつながっていきます。
葵は「美味しいっていうのは、きっと。生きたいってことなんだ」という言葉を見つけます。食べることは単なる栄養摂取ではなく、生きることそのものに直結しているのです。
二人がたどり着いた答え
物語の最後、咲子はこう気づきます。「あたし、自分ばっかりダメなやつだと思ってた。でも、本当は、みんなどこかが不完全で。みんなどこかが不健康で。みんな泣きながら、戦っているのだ。生きていくって、そういうことなのだ」。
そして「私は食べるのが下手、生きるのが下手。でも多分、生きるのが上手な人はいない。だから、まあいっか」と言います。この「まあいっか」という言葉が、とても優しく響きます。
二人は完全に問題が解決したわけではありません。でも自分たちなりの食との付き合い方、生き方を見つけたのです。完璧である必要はない、自分のペースでいい。そう思えるようになりました。
この本を読んだ感想
この本を読んで、食べることの意味を改めて考えさせられました。普段何気なくしていることが、ある人にとっては大きな苦しみになっている。その現実を知るだけでも、読む価値があります。
会食恐怖症という言葉を初めて知った
会食恐怖症という言葉を、この本で初めて知った人も多いのではないでしょうか。人と一緒に食事をすることに強い不安を感じる症状です。
給食の完食指導がきっかけで発症する人が多いという事実も衝撃的でした。良かれと思って行われていることが、誰かを苦しめているかもしれない。そう考えると、教育のあり方についても考えさせられます。
名前がつくということは、あなただけの問題ではないということです。同じ悩みを持つ人がいる、理解してくれる人もいる。そう思えるだけで、少し楽になれるのではないでしょうか。
食べることの苦しさがリアルに伝わってくる
葵が給食を無理に飲み込んで吐いてしまう場面は、読んでいて胸が痛くなりました。食べられないのに食べなければならないプレッシャー。周りの視線が怖くて、喉を通らない感覚。
その苦しさが、天川さんの繊細な文章でリアルに描かれています。まるで自分が葵になったかのように、その恐怖を追体験できます。これは物語だからこそできることです。
実際に会食恐怖症や摂食障害で苦しんでいる人たちにとっては、「わかってもらえた」という安心感になるでしょう。そうでない人たちにとっては、他者の痛みを知るきっかけになります。
咲子の強がりと弱さに共感した
咲子というキャラクターが、とても魅力的でした。一見すると明るく強気で、問題児扱いされています。でも実は誰よりも繊細で、傷つきやすい。
過食嘔吐という形でしか感情を表現できない咲子の姿に、胸が締め付けられます。強がっている人ほど、実は弱い部分を隠しているのかもしれません。そう考えると、周りの人への見方も変わってきます。
咲子の「生きるのが上手な人はいない」という言葉は、この物語の核心です。完璧な人なんていない、みんな不完全なまま生きている。その事実を受け入れることが、生きやすさにつながるのだと教えてくれます。
橘川先生のアプローチが新鮮だった
橘川先生の「変えたいと思うなら、変えればいいんですよ」という言葉が印象的でした。ただし自分たちの力で、という条件付きです。
大人が解決してあげるのではなく、子どもたち自身に考えさせる。このアプローチが素晴らしいと思いました。不満を言うだけでなく、建設的な提案をする。それが問題解決の第一歩なのだと気づかせてくれます。
橘川先生は「掴みどころがないようでいて一本筋が通ってる変人先生」と評されています。こんな先生に出会えたら、きっと人生が変わるでしょう。理想の教育者像が描かれています。
食の多様性について考えさせられた
ラマワティの存在が、物語に深みを与えています。ムスリムの教えで食べられないものがある。それは宗教や文化の問題であり、尊重されるべきことです。
でも葵や咲子の「食べられない」も、同じように尊重されるべきではないでしょうか。理由が何であれ、食べられないものがあることは悪いことではありません。「みんなと同じように食べなければならない」という無言の圧力こそが、問題なのかもしれません。
食の多様性を認めること。それは食に限らず、生き方の多様性を認めることにもつながります。この本は、そんな大切なメッセージを伝えてくれます。
読書感想文を書くヒント
この本で読書感想文を書く人も多いでしょう。ここでは、感想文を書く際のヒントをいくつか紹介します。
自分と葵や咲子の共通点を探してみる
まずは自分自身を振り返ってみましょう。葵や咲子と共通する部分はありませんか?
給食が苦手だった経験、人と一緒に食事をするのが緊張した記憶。食べることに関する悩みでなくても構いません。人と違うことで悩んだこと、完璧でなければならないと感じたこと。そうした経験と物語を結びつけると、深みのある感想文になります。
もし共通点が見つからなくても大丈夫です。この本を読んで初めて知ったこと、驚いたことを書けばいいのです。自分とは違う世界を知ることも、読書の大きな価値です。
給食の思い出を振り返ってみる
給食にまつわる思い出を書くのも効果的です。楽しかった思い出もあれば、辛かった思い出もあるでしょう。
好きなメニュー、嫌いだったメニュー。完食できなくて残った記憶、先生に怒られた経験。そうした個人的な体験を交えることで、感想文がぐっと身近になります。
給食は多くの人に共通する経験です。だからこそ、そこでの喜びや苦しみは、読む人の心にも響きます。自分の経験と物語を重ね合わせてみましょう。
「食べる」ことの意味を自分なりに考える
「食べる」ことの意味について、自分なりに考えてみましょう。栄養を取るため? 生きるため? 楽しむため?
葵の「美味しいっていうのは、きっと。生きたいってことなんだ」という言葉をヒントにしてもいいでしょう。食べることは生きることと、どうつながっているのか。自分の言葉で表現してみてください。
また「食べてもらいたい」という思いに込められた「生きて欲しい」という願い。この部分について考えるのもいいですね。誰かのために料理を作った経験があれば、その時の気持ちを振り返ってみましょう。
身近な人の食の悩みについて考えてみる
周りに食で悩んでいる人はいませんか? もしかしたら、この本を読んで初めて気づくこともあるかもしれません。
少食の人、好き嫌いが多い人、アレルギーがある人。宗教や文化的な理由で食べられないものがある人。そうした人たちの気持ちを想像してみましょう。この本を読む前と後で、見方が変わったのではないでしょうか。
他者への理解が深まったことを書くのも、立派な感想文です。この本が教えてくれた「多様性を認めること」の大切さについて、自分の言葉で語ってみてください。
物語から読み解けること
この物語は、単なるフィクションではありません。現代社会が抱える問題を、中学生の視点から描いています。
会食恐怖症ってどんな症状?
会食恐怖症とは、人と一緒に食事をすることに強い不安を感じる症状です。単なる人見知りや恥ずかしさとは違います。
動悸、吐き気、手の震え、冷や汗。こうした身体症状が出ることもあります。食べたくても食べられない、喉を通らない。本人の意思ではコントロールできないのです。
発症のきっかけとして最も多いのが、給食の完食指導です。全体の約50パーセントがそうだという調査もあります。「残さず食べなさい」という指導が、誰かを苦しめているかもしれません。教育現場での理解が求められています。
摂食障害はなぜ起きるのか
咲子が抱える過食嘔吐は、摂食障害の一種です。2000年代以降、中高生の摂食障害患者数は10倍に増加しているというデータもあります。
原因は複雑です。ストレス、完璧主義、自己肯定感の低さ。SNSなどで広がる「理想の体型」や「食べ方」への圧力も大きな要因です。「こうあるべき」という社会の期待が、誰かを追い詰めています。
摂食障害は心の病気です。本人の意思が弱いわけでも、甘えているわけでもありません。専門的な治療とサポートが必要です。周りの理解と寄り添いが、回復への第一歩になります。
給食の完食指導が与える影響
給食の完食指導は、かつては当たり前に行われていました。今でも続けている学校もあるでしょう。でもその影響について、改めて考える必要があります。
食べ物を大切にすること、好き嫌いをなくすこと。その意図は理解できます。でも無理に食べさせることで、会食恐怖症を発症する子どもがいるのも事実です。
食べられる量や速さは人それぞれです。体質も違えば、その日の体調もあります。一律に「全部食べなさい」と強制することが、本当に正しいのか。この本は、そんな問いを投げかけています。
食の多様性を認めることの大切さ
物語に登場するラマワティは、ムスリムの教えで豚肉やアルコールを使った料理が食べられません。これは宗教や文化の問題であり、尊重されるべきことです。
でも葵や咲子の「食べられない」も、同じように尊重されるべきではないでしょうか。理由が何であれ、食べられないものがあることは悪いことではありません。
食の多様性を認めること。それは「みんな違って当たり前」を認めることです。アレルギー、宗教、文化、体質、心の問題。様々な理由で食べられないものがある人たちが、安心して食事ができる環境を作る。それが本当の意味での「共食」なのかもしれません。
現代社会とつながる問題
この物語が描く問題は、決して他人事ではありません。私たちが生きる現代社会と深くつながっています。
SNSが作る「理想の体型」へのプレッシャー
SNSには、完璧に見える人たちの写真や動画があふれています。スリムな体型、美しい食事、理想的な生活。でもそれは、ほんの一部を切り取ったものにすぎません。
そうした「理想」と自分を比べてしまう人が多いのです。特に若い世代は影響を受けやすいでしょう。「こうあるべき」というプレッシャーが、摂食障害につながることもあります。
大切なのは、SNSの中の「理想」が必ずしも現実ではないと理解することです。人それぞれ体型も食べ方も違っていい。比べる必要はないのだと、この本は教えてくれます。
学校給食のあり方を見直す動き
給食の完食指導については、近年見直しの動きが出ています。無理に食べさせることのリスクが認識され始めているのです。
食べられる量を自分で決められる学校も増えてきました。残すことを許可したり、少なめに盛ることを認めたり。子ども一人ひとりの事情に配慮した柔軟な対応が求められています。
この物語の給食改革プロジェクトも、そうした動きと重なります。子どもたち自身が考え、提案する。その過程で食の多様性を学ぶ。理想的な教育のあり方が描かれています。
増え続ける若者の摂食障害
先にも触れましたが、若者の摂食障害は増加の一途をたどっています。2000年代以降、中高生の患者数は10倍になったというデータもあります。
その背景には、社会の変化があります。SNSの普及、過度な競争社会、完璧主義の蔓延。様々な要因が複雑に絡み合っています。
摂食障害は決して珍しい病気ではありません。あなたの身近にも、苦しんでいる人がいるかもしれません。理解すること、寄り添うこと。それが解決への第一歩です。
食べることへの「当たり前」を疑う
「食べることは楽しいもの」「みんなで食べれば美味しい」。そうした「当たり前」が、誰かを苦しめていることもあります。
食べることが苦痛な人もいます。一人で食べる方が楽な人もいます。その多様性を認めることが大切です。
この本は、食べることへの「当たり前」を疑うきっかけをくれます。自分にとっての当たり前が、他の人にも当てはまるとは限りません。その気づきが、他者への理解を深めていきます。
なぜこの本を読むべきなのか
最後に、この本を読むべき理由を改めてまとめます。これは単なる物語ではなく、私たち自身の問題を映し出す鏡です。
自分の「食べる」を見つめ直せる
普段何気なくしている「食べる」という行為を、改めて考えるきっかけになります。なぜ食べるのか、食べることの意味は何か。
葵の「美味しいっていうのは、きっと。生きたいってことなんだ」という言葉が心に残ります。食べることは生きることと直結している。その当たり前のようで深い真実に、改めて気づかされます。
自分にとって食べることは何なのか。この本を読んだ後、きっと食事の時間が少し違って見えるはずです。
他人の苦しみに気づくきっかけになる
会食恐怖症や摂食障害という言葉を、この本で初めて知った人も多いでしょう。そうした問題が存在すること、苦しんでいる人がいることを知る。それだけでも大きな価値があります。
自分とは違う世界を知ることで、他者への理解が深まります。周りの人の行動や言動の背景に、見えない事情があるかもしれない。そう考えるだけで、接し方も変わってくるはずです。
共感する力は、読書によって育まれます。この本は、他者の痛みを想像する力を与えてくれます。
誰もが自分らしく食べられる社会を考える
この本が最終的に問いかけているのは、「誰もが自分らしく食べられる社会」についてです。食べられる量も速さも、好みも事情も、人それぞれ違います。
その多様性を認め合える社会を作るには、どうすればいいのか。給食改革プロジェクトのように、当事者が声を上げ、自分たちで考え、行動する。そうしたプロセスが大切なのだと教えてくれます。
食に限らず、生き方の多様性を認め合う社会。この本は、そんな理想の社会へのヒントを与えてくれます。
言葉にできなかった気持ちに名前がつく
最後に、この本の大きな価値は「名付け」にあります。会食恐怖症という名前があることで、葵は自分だけがおかしいのではないと気づきます。
言葉にできなかった気持ちに名前がつくこと。それは大きな救いになります。自分の感情を理解し、受け入れる第一歩です。
咲子の「生きるのが上手な人はいない」という言葉もそうです。みんな不完全なまま生きている。その事実に名前をつけ、言葉にすることで、自分を許せるようになります。この本は、そんな言葉をたくさん持っています。
おわりに
「わたしは食べるのが下手」というタイトルは、実は「わたしは生きるのが下手」という意味でもあります。でも咲子が言うように、生きるのが上手な人なんていません。
みんな不完全で、みんなどこかで戦いながら生きています。それでいいのだと、この本は優しく教えてくれます。完璧である必要はない、自分なりのペースで、自分なりの食べ方や生き方を見つければいい。「まあいっか」と思える余裕が、生きやすさにつながるのかもしれません。この本を読んだ後、きっとあなたも誰かに優しくなれるはずです。そして自分自身にも、少しだけ優しくなれるでしょう。
